アイスランドクローネ日記帳

音楽のこと、旅行のこと、ふと思ったこと、全く思っていないこと等を書きます。

都市 [クリフォード D.シマック(著), 林克己、他(訳)] (ハヤカワ文庫SF)

ずいぶん昔からなんとなく気になっていたタイトルを読了。
人類の行く末を壮大なスケールで謳い上げる傑作SFでした。
文庫本の裏のあらすじみたいな感想ですね。いつもあれを読みながら本を選んでいるのでつい。
とにかく期待以上の傑作でした。


時間的空間的に達観した視点がクラークの「幼年期の終わり」に似ています。
こういうSFはやっぱり楽しいです。
ロボットのジェンキンズは何世代にもわたって人類を観察し続ける視点として重要な役割を担っていますが、
登場する他の人間の誰よりも人間味があって共感してしまうあたりも含めて、
幼年期の終わりのカレルレンと完全に同じ立ち位置です。
ジェンキンズやカレルレンの視点があるからこそ、人類の不完全さや儚さが引き立ちます。
そして地球や宇宙が人類中心ではなくもっと大きな存在であることが実感できます。
そういうところがSFの楽しいところの1つですね。

さて、幼年期の終わりとの共通点ばかり書いていますが、よくある変なパクリくささはないので安心です。
というのも、「都市」が1952年、「幼年期の終わり」が1953年発表なので、
パクリくささがでるわけがないのです。
こんなSFが立て続けに出るなんて本当にすごい時代です。

それだけ古いSFなのでいろいろ古く感じる描写はありますが、
とにかくテーマの普遍性が高すぎて細かい古さは全く気になりません。
ジェンキンズがエラーや故障もなく長い年月動きつづけるあたり多少引っかかりますが、
そんなことも段々どうでもよくなってきます。

幼年期の終わりは今では「どこかで見たことある」と感じてしまって陳腐に感じてしまう、
という人がいますが、個人的にはあまりそう感じません。
そして都市もそういった陳腐さは感じません。
おそらく設定やメッセージの新しさそのものではなく、
それが語られるときに背後にある第一人者ならではの洞察や確信から溢れ出てくる
イメージの魅力があるからなんだと思います。
クラークやシマックの頭の中の大きなイメージが文字だけで浮かび上がってくる気がします。

「都市」は「幼年期の終わり」に比べて人類が主体的で、
自らの意志で総出で木星へ向かうところがすごく印象的でした。
通常SFで人類が地球を捨てるのは地球が破壊されるとか、使い物にならなくなったとかいう理由がスタンダードなので、
それ以外の理由でいなくなるというのは驚きました。
同じ状況になったときに本当にそんなことになるのかどうか、考え込んでしまいます。

書きたいことを思いつくままに書いてしまいましたが、
久々に「これぞ傑作!」と言いたくなるようなSFを読んで心が満たされました。

それから幼年期の終わりもまた読み直したくなりました。
ロボットや地球外生命体と対比して人類を描く上で、芸術は避けて通れないと思います。
ジャンが世界最高のピアニストになるシーンは忘れられません。
  1. 2017/04/12(水) 22:38:00|
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